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杉本鉞子のドラマティックな生涯 朝ドラにならないかな [歴史の人物]

杉本鉞子(すぎもとえつこ)という女性の生涯を
BS1スペシャルで観ました。

「武士の娘 鉞子とフローレンス」と言うタイトルのもの。

ドラマティックで観て感動しました。



この番組は昨年3回放送されています。

リクエストがあったからなんでしょうね。



杉本鉞子さんは明治初期の生まれで昭和25年まで生きた人です。


戦争のあった時代ですね。

彼女はその戦争のさなか日本とアメリカを幾度も往復しているんです。



番組を観て記憶に残ったことを書いておきます。


彼女は兄弟の中で一人だけ縮れ毛だったため、
周囲の子供から からかわれます。

父は長岡藩の武士だったけれど
意見違いで武士ではなくなっていました。

それでも、鉞子の母は
鉞子に武士の娘としての精神を持つように
教えたんですね。


彼女は本当は尼さんになるように
教育されていたみたいです。

ですが、アメリカから戻ってきた兄が
アメリカに住む日本人との結婚を決めてきたので
アメリカに渡るため英語の勉強などをします。

このとき学んだ学校は今の青山学院大学の前身だそうです。


そして25歳の時、単身アメリカに渡ります。

船で数か月かけて着物姿で。

そこで日本製品の雑貨屋を営む夫と暮らし始めます。


そして番組のタイトルにあった
「フローレンス」と言う女性に出会うんです。

二人の娘にも恵まれましたが
夫の仕事が失敗したことで
夫を残して二人の娘とフローレンスも一緒に
日本へ戻ります。

鉞子が37歳の頃です。


日本での生活の中、
フローレンスが外人だということで
周囲の目は厳しかったようです。


二人の娘も日本での生活は窮屈だったようで、
鉞子のお母さんがなくなり再びアメリカへ渡ります。
鉞子43歳でした。

そのアメリカで生活の足しにと始めたのが作家活動。

はじめは思うような反応はなかったようですが
二つの国を見て生きてきた鉞子の
感じたことを書くように勧めたフローレンスの言葉で
「武士の娘」が出来上がりました。

ものすごい反響でしたが、
排日運動も高まりまた日本へ戻ります。

この時も二人の娘とフローレンスも共に。


戦争の中でしたので、日本でも風当たりは強かったようです。

鉞子の書いた「武士の娘」は
世界各地で翻訳されていましたが
まだ日本では出版されていませんでした。

フローレンスは日本で最期を迎えましたが
「日本でも出版して」というのが彼女の願いでした。



戦時中は敵国アメリカとの関わりを持つのではと
見張られていたようです。


そんな中、力になってくれる日本人もいて
日本でも「武士の娘」が発刊できたそうです。


世界規模で読まれたという「武士の娘」ですが
私は全く知りませんでした。


図書館に置かれているのを観ました。

あ、あるのをみた、ということ。


読むには字が小っちゃくてぎっしりで
トライできませんでした。。。


けれど、これが連続ドラマになったら…と思います。


NHK朝ドラあたりで取り上げていただけたら
きっともっと感動の人生を知ることができるのでは
ないかと思っています。

ぜひぜひ、お願いしたいです。



この1視聴者の声届かないかなぁ…。





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